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崖っぷち

Edge11



往々にして、崖っぷちの方が美しい風景が見える。
崖っぷちに立つからこそ、見えることがある。
次の試合こそ、しっかり「代表」のサッカーを見せて欲しい。


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[ 2014/06/21 02:57 ] 境界 | TB(0) | CM(0)

宮島

入浜
-宮島-


いつもならとっくに冬休み?のところが、ちょっとバタバタ。
で、また一ヶ月サボってしまった。
HPに書いた通り、秋口辺りから白髭と宮島にはまってしまった。
白髭はちょっと脚を伸ばせばの距離だが、宮島は山陽道で4時間、新幹線でもコストがかかる。
宮島へは過去にも何度か取材で立ち寄ったことはあるのだが、必要最低限、いずれの場合も10分足らずで立ち去った記憶だけ。
9月に車で上陸、侵入できる端から端までを走らせてもらったのだが、観光地化されていない裏側の風景にすっかり魅入られて、先月はほぼ丸一日、歩いた。
歩かないと分からないこと、見えてこないことがあるのは当たり前で、7~8時間歩いて、ちょっとはこの島が見えてきた。
冷めないうちに再訪したい。


[ 2010/12/19 02:53 ] 境界 | TB(0) | CM(0)

適性速度

白山
-白山・市之瀬付近-


冬季閉鎖間際の白山スーパー林道を走る。もちろん、初体験。
当然徹夜、日帰りコース。
その後にも徹夜が1回。案の定、そう簡単に体調は戻らない(^^;
午前中、白峰温泉から市ノ瀬にかけての紅葉の美しさにも感動したが、山々の頂上付近から落ちるいくつもの滝を証拠写真的に撮りながら、シャッター速度について考えた。
「美しい風景写真」のお手本として見せられる多くの写真は、これ見よがしのスローシャッター、長秒写真ばかりで、記憶の中の流れや落下、運動とは程遠い表現である。情緒的ではあっても、抒情的でも叙事的でもリアルでもない。
記憶色とかフィルム的発色が重要視される中、「記憶運動」とか「記憶速度」は忘れられているかのようだ。
視覚とはかけはなれた「表現」が「芸術」であるとすれば、写真の大半は芸術ではないし、リアリズムは成立しない。
最新デジタルカメラは、フィルム時代には想像もできなかった高感度、低ノイズでの記録、表現を可能にしつつあるが、ボケや被写界深度と同様、シャッター速度にも更なる注意が払われて、新しい表現が出てきて欲しいと思う。
目にもとまらぬ動きを止めてみせることや態とらしいブレだけがシャッター速度の考え方ではないと思う。


階段B
-十三-


[ 2009/11/09 01:42 ] 境界 | TB(0) | CM(0)

都市の風景

境界
-江坂-


「現実に動いている都市を撮るということは、美しい部分と暗い部分の中間の、ごちゃごちゃしたところに目を向けていくことだと思うんですよ。それを、ハエ取り紙の上を低空飛行すること、あるかなきかの飛ぶ角度を求めることだ、といっているんです。ちょっと足をとられたら終わりの、ぎりぎりの角度ですね。--(中略)--僕の写真なんか展覧会で見せられても面白くもなんともないんじゃないか。ただ、僕はその中にこそ見えるものがある、読み解くものがあると思うからやっているわけで。
-『アサヒカメラ』2007年4月号/高梨豊インタビュー-

いつもいつも変哲のない、それでいて強烈なインパクトを残す写真、写真家。
今回の『囲市』(かこいまち)も、最初よりは2度目、2度目よりは3度目というように、染み込んでくる、まるで、都市の風景そのものような写真だ。



[ 2007/06/19 03:15 ] 境界 | TB(0) | CM(2)

雨が止んだら

雨上がり
-宮原/淀川区-

最高裁判所なんて、某NHK並に機能しないのなら、民営化すればぁ…

久しぶりに、水たまりにカメラが向いた。


[ 2007/03/01 01:11 ] 境界 | TB(0) | CM(2)

謹賀新年

決定的瞬間
-長居/住吉区-


只今、年賀状製作中(^_^;



[ 2007/01/01 00:15 ] 境界 | TB(0) | CM(8)

EXIT

exit



どこかのブログだったかMixiだったか覚えていないが、北村昌士が書いた文章
について、「プログレを更に難解に解説する」とかと書いてあった。
“プログレッシヴ・ロック”が難解であるかどうかはともかく、北村の書くも
のがことさらに難解であるとは思ったことがないし、今も思ってはいない。あ
れが難解であるとすれば、生や思索について書かれた文章のほとんどは難解な
ものであるだろう。村上春樹でさえも…。
北村昌士は、音楽を通して生きることを思考し、世界と対峙しようと試みてい
たのだと思う。それは所謂娯楽などではなく、生理であり存在することと同義
であった。ちょうど、中平卓馬が写真家であるのと同じである。寺島珠雄の初
詩集の扉に、「これは私の生理である」と書かれていた。
今も昔も相変わらず、音楽雑誌にせよカメラ雑誌にせよ、売上げのための似非
批評(批評などとは言えない提灯記事)が圧倒的である。そんな中で、初期
『Fool's Mate』は、思考と感性を鍛えるような批評を展開していたと思う。
Canis LupusやYBO2などで聴く北村昌士の音楽も、書くことに劣らず、高い批
評性があった。己の生を、存在を突破しようとする批評性が。



exit

-大津市石山-

[ 2006/11/16 04:31 ] 境界 | TB(0) | CM(1)

境界

窓
-王子町付近/阿倍野区-

猫にせがまれて、一足飛びのコタツの出動。
人間も一気にセーター。


[ 2006/11/09 03:47 ] 境界 | TB(0) | CM(0)

ショック

ガード
-梅香/此花区-

北朝鮮のミサイル6発もショッキングだが、中田英寿の現役引退の方が大きなショックだ。
ジーコ・ジャパンになって、あちこちと衝突しながらも、彼が言い続けてきたことを理解した選手、関係者、マスコミがどれくらいあるだろう。
せめて次のワールドカップの時、“知り尽くしたベテラン”として、もう一花咲かせてほしかったと思う。
三浦知良のような選手もいる。ヒデのような選手もいる。とても優れた見本・手本だと思う。
トルシエから始まった日本のサッカーの「近代化」は、オシム監督によって、どこまで進化できるだろう。


[ 2006/07/05 20:40 ] 境界 | TB(0) | CM(0)

写真よさようなら

梅新東

-梅新東-

森山大道の『写真よさようなら』が発売された。

「-(略)-キザなタイトルなんて受け取られるかもしれないけど、写真、写真と安心立命しちゃって、写真への一点の懐疑ももっていない写真、つまりぼくに言わせればリアリティ欠落の写真、そんないまの写真の在りようへのボクの嫌悪と訣別ってほどの意味なんだ。あとは実際にできてみなきゃわかんない。-(略)-」

ネガもプリントも残っていない「原本」から、こんな中平卓馬との対話は割愛され、新しい本として出版されたという。
理会しない人にとっては、昨日の新聞ほどの意味もないかも知れないし、H.C=ブレッソンや土門拳の写真のように、誰彼なしに見なさい、買いなさいとは言えないが、僕にとっては、原点であり、越えるべき頂点でもある。

http://www.superheadz.com/books/sayounara/

上記、中平卓馬との対話は、『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』(青弓社/2000.5)で読むことができる。


[ 2006/04/02 03:46 ] 境界 | TB(0) | CM(6)



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