PageTop








スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

戦争がはじまる

遺言



「最後はいつも権力が勝つという悔しさったらないね。だけど、結末だけじゃなく、そこに至る過程で何が起きたのかを残すのも大事だ。伝えずにいられなかった。撮ることは僕自身の人生の肥やしにもなった。」
「安倍政権下で憲法改正に向けた動きが加速しているけど、平和憲法を守るため、命のある限り抵抗し続ける決心です。」
福島菊次郎(朝日新聞2014年5月26日〜30日)

悔しさの真っ只中で息を引き取られたのかも知れません。
彼の写真と文章と、平和憲法が消し去られませんように…


スポンサーサイト
[ 2015/09/27 03:43 ] 追悼 | TB(0) | CM(0)

素朴な写真家

追悼中平卓馬



中平卓馬
『なぜ、植物図鑑か』に出逢い、写真に、そして写真批評に目覚めた。
「私にとってもはや〈イメージ〉は乗り越えられるべき対象である。私から発し、一方的に世界へ到達するものと仮定され、そのことによって世界を歪曲し、世界を私の思い通りに染めあげるこのイメージは、いま、私の中で否定される。世界と私は、一方的な私の視線によって繋がっているのではない。」

写真には金がかかる、から、批評家として生きていこうと思った。
商業写真を生業にした頃から、一時はすっかり忘れ去っていた。

89年、『ADIEU A X』の
「私、今日、素朴な写真家にまいもどりました。
だが、私、素朴な写真家にまいもどったとしても、新たに現実世界に出会った時には、自意識が解体され、自らの意識を新たに造り上げねばならぬ行為そのものが、無限に課せられて来る。それは、ある意味において、写真家である私のさだめであろう。」

で、再び出会った時、安心と同時に驚いていた。
その頃は、仕事が忙しくて、作品どころではなかったが、彼の復帰が嬉しかった。
その頃の僕は、キレイキレイなイメージ写真ばかり撮っていた。

そして2003年『アサヒカメラ10月号』。
“あえて望んだ斬新熟視”。カラー16ページ+表紙。

完全に打ちのめされた。目が覚めた。
今、写真を撮っているのは、この衝撃があったからこそ。
空と猫しか撮っていない時も、「植物図鑑」と「原点復帰」が頭の中を駆け回っている。

もし、中平卓馬と出逢わなかったら、カメラを持って歩くことなどなく、「まず、たしからしさの世界を棄てろ」とも思わず、ぼんやりしたメタボ爺になっていたに違いない。

かなうならば、もう一度、まいもどって下さい。

[ 2015/09/06 03:11 ] 追悼 | TB(0) | CM(0)

一目惚れ

雨上がり



朝日新聞1月15日付朝刊に脇圭平の訃報。享年91歳。
亡くなったことを知った、というより、生きておられたことを知る。
岩波新書の『知識人と政治』を読んだ方もあるかも知れない。
専門は、ワイマール。

僕が男に一目惚れしたのは、寺島珠雄だけだと思っていたが、二十歳になる前の脇圭平にも一目惚れしていたということに、今、気が付いた。
熱くもなく冷たくもない風が、強くもなく弱くもない、でも確かに気持ちのよい風が吹いている、そんな感じがした。
運良く法学部政治学科に入り、専攻などどうでもよく、脇ゼミに入った。
その頃はお忙しくて休講も多かったが、先生を見るのが楽しみだった。

学問であれ芸術であれスポーツであれ、何よりも「センスを磨くこと」が重要だと、ゼミでの発表や卒論より、サークルや趣味の活動を優先させて頂いた。
結果、苦もなく卒業でき、世の中を甘く見たまま現在に至る。

脇さんが右だったか左だったか判らないが、ステロタイプから抜け出そうともがいていたら、がんばれよ、と声をかけて下さると思う。

心から、ご冥福をお祈りします。


[ 2015/01/16 04:29 ] 追悼 | TB(0) | CM(0)

命日

panatomic_X
−先生と一緒に行った湖北にて−



11月17日は、山岡俊二先生の一周忌。

去年の今ごろは、天候のことなど、何も気付くことなく、週三回ペースで京都のホスピスへ通った。
本来なら、敬畏をこめて「山岡俊二」とするところ、ふと、スタジオUVに入って間もない頃、
「オレみたいな頭の悪い奴でも、写真家になれば『先生』と呼んでもらえる」と、ニヤニヤしながら仰っていたことを思い出した。
今思えば、「頭の悪い奴」にあれほどの複雑なライティングの計算ができる筈はなく、鋭い感性と豊かな構成力に驚嘆する。

死の3年ほど前から、それまでのドイツ=モーツァルトからフランス=ドビュッシー好きに変わり、表向きはディアドルフ派だったが、死の直前に、「ライカを持って、ブレッソンみたいな写真が撮りたかった」と語られたのは、晩年の本気であったのかも知れない。
今ごろはあちらで赤瀬川原平と新ライカ同盟を結成されているかも。
京都で最初にジナーを買った、とか、京都で一番にバルカーを使った、とか、新しいものに目がなかった写真家は、不思議にも、ライカを手にしたことはなかった。

先日の私の個展「A Better Time」は、嫌々デジタル化されていた山岡先生に捧げる意味もありました。
これからも、先生のような写真バカを目指したいと思います。

山岡俊二ホームページ
※移転の予定があります。

[ 2014/11/17 02:48 ] 追悼 | TB(0) | CM(0)

楽しい寝不足

紅葉/銀閣寺畔



ここ数年、山岡先生のアシスト& Macオペレーターをするために、多い月は7〜8日、スタジオUVに行った。
駐車場確保の目的もあったが、たいていは、1時間前ぐらいに銀閣寺周辺のコインパーキングに車を止めて、哲学の道や法然院を撮っていた。苔むした桜の老木、いつからか住着いた鴨ファミリー、朝の散歩中の猫に出逢うことも多く、無駄な早起きが、寝不足が楽しかった。



[ 2013/12/03 01:51 ] 追悼 | TB(0) | CM(0)

ドビュッシー

高島沖



山岡先生の訃報を聞いてから毎日、ドビュッシーを聞いている。
牧神〜映像〜海etc.。

以前はもっぱらブラームスやモーツァルトというドイツ音楽に傾倒されており、殊に、モーツァルトのバイオリン協奏曲が大のお気に入り。御自身の個展のタイトル「Concert in blue」も、モーツァルトにインスパイアーされたものだ。

それが、3年ほど前から突然、フランスに行きたい、などと言われ始め、冗談だと思っていたのだが、ここ1年ほどは、「芸術はフランスや!」と何度も聞かされた。

ドビュッシーやフォーレに魅了され、アンセル・アダムズが、アジェやブレッソンに変わった。
もう少し早ければ、ディアドルフとライカ(ドイツですが、あくまで、ブレッソンのライカ)の交響的映像を見せて頂けたかも知れない。ただ、若い頃はライカにだけは興味がなかったそうだ。

因に、奈良原一高の『消滅した時間』は、最期まで、いの一番のお気に入りだった。



[ 2013/11/27 01:56 ] 追悼 | TB(0) | CM(0)

まだまだやなぁ

湖北
一緒に行った最初で最後の湖北撮影行/2011.4


17日朝、山岡俊二先生が永眠されました。
まるで、個展の終了を見届けるかのように。
初めてスタジオUVにお伺いしてから30数年間、堪え難い痛みの病床でさえも、ずっと写真のことだけを考えてこられたように思います。

商業写真、スタジオ・ライティングにおいては、恩師。
傲慢と言われるかも知れませんが、作品制作においては、ライバルと考えていたかも知れません。
フォトショップの使い方、RAW現像のやり方、インクジェットプリントの研究、その総てが、最後まで「デジタルは、あかん」と言い続けられる先生に対するライバル心、意地であったように思います。
デジタルも写真であることを何とか認めてほしいがために、手を替え品を替え、何度もプリントを見せに行きました。
85点ぐらいはもらえたように思っていましたが、8×10を見せられると、「まだまだやなぁ」と言われているようです。

商業写真も風景写真も、アレブレでも前衛でもないけれど、僕は、山岡俊二の写真が好きだ。


[ 2013/11/18 10:37 ] 追悼 | TB(0) | CM(0)



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。