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なぜ未だ「プロヴォーク」か

草


死体


昭和

-十八条(いずれも)-

“写真は言葉に支えられる必要などないし、意味を発しなくてよいのである。理解されることなく了解されること、言葉を超えて啓示となること、根源こそが唯一最大の問題なのだ。写真は言葉を沈黙させるほどの、より深々とした沈黙に支えられていればよいのだ。たとえそれがどんなに見映えのしない表面をしていようと、それを「ブス」などと呼ぶような網膜的思考とは、それこそ「笑ってあばよ」をするだけだ。”
(「写真の黙示録」/『なぜ未だ「プロヴォーク」か』西井一夫/青弓社1996年刊)

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[ 2006/07/27 02:02 ] 歴史 | TB(0) | CM(6)

東三国

もったいない!?


明日からの撮影で、また、大量のRAW現像の日々が続く。
モニタのキャリブレーションは、数日前にしたところなので、久しぶりにHDのメンテナンスをしてみたら、何と、起動ディスクの空きスペースが1GB以上も増えた!
OSも進化して、HDや記録メディアが劇的に安価になったとはいえ、昔のように、もう少しは、真面目に付き合わないと、商業主義のなすがまま、だな。

[ 2006/07/26 01:42 ] 日常 | TB(0) | CM(2)

西三国

間


自分が撮った写真のパワーが下ってきていることに気付いた。
とりあえず押したシャッターの数と雑念が多過ぎる。
あれもこれも、に、カメラを向けるのは、暫時、控えようとは思う。
が、今日も、猫も花も撮った。

[ 2006/07/25 03:16 ] 日常 | TB(0) | CM(2)

スベテハナガル

織屋
-西陣-

僕が生まれ育った北野天満宮(天神さん)東側界隈。
70年代半ばまでは、西陣織の「織屋」(オリヤ)が軒を連ねていた。
朝から晩まで、機を織る音が、町中に充満していた。
70年代末に、それまで使われていたパンチカード風の「紋紙」(モンガミ)がフロッピー・ディスクに変る頃、ほとんどの織屋、織手(オリテ)さんが、機織りを辞めた。
今、西陣(北野天満宮から堀川通の間)を歩いていても、ほとんど機音を聞くことはできない。
この道を年に1~2度歩いているはずだが、今まで気付くことがなかったこの家の中から機音が聞こえてきて、懐かしさと共に、妙に心が落ち着くのを感じた。


家
-浄土寺/左京区-

こちらは、銀閣寺近くの古くからの「高級住宅街」。
この辺りでは、特に大きいともいえない1軒の家だが、マンションが建つらしい。

[ 2006/07/23 18:47 ] 歴史 | TB(0) | CM(0)

未だ…

石段
-山王/西成区-

7月22日、寺島珠雄の命日。
何もできないまま、7年が過ぎた。
亡くなった直後の数ヶ月間、自らの能力もなにも省みずに、ある意味、壮大な計画を構想した。その前後、いくつかの雑誌・詩誌に拙文を掲載していただけた。
2年、3年と経過する間に、忘れてしまうこと、見えてくることが様々にあり、そうこうしている(何もできずに)内に、中平卓馬の『斬新熟視』(アサヒカメラ2003.10月号)と遭遇、自分が何者であるかに気付いた。
以後、こうして、生業以外でもカメラを持つことを思い出し、カメラなしでは歩けなくなった。
命日にあたり、様々なことが頭を駆け巡る。
初めて出会った時の出立ち、印象から、心停止の数時間前の煙草、骨拾い。

ダメだ…、涙が出てきた。
僕は、未だ、あなたのように強くなっていない…。

[ 2006/07/22 20:49 ] 日常 | TB(0) | CM(0)

境界線

雨天
-中之島-

「シド・バレットさんが亡くなっていた」と書かれても、70年代半ばに知った時には、すでに伝説の人であったから、「あっ、そお」ってぐらいのもんだが、あらためて調べてみたりすると、わりと最近の絵画作品がWEB上にもあったりして、むしろ、そのことに驚いたりする。
“キング・クリムゾン派”であったけれども、ピンク・フロイドの『おせっかい』『狂気』『炎』の3枚は、今も持ち続けている。“Wish You Are Here”のinでもoutでもない、境界線上の感覚が好きだ。
『帽子が笑う-Madcap Laughs』を聴いてから街に出たら、新しい街に出逢うかも知れない。


[ 2006/07/20 19:47 ] 日常 | TB(0) | CM(0)

直下

駅
-京都駅-

外を歩いていると、梅雨前線の真下にいることが分かるほど、蒸し暑い風とひんやりした風がランダムに吹いていた。上がりかけた雨は、突然、傘がさせないほどの風を伴い大粒で降り出したり、また止んだり。
気がついてみると、カメラどころかレンズの前玉までびしょぬれで、いかにテキトーにファインダーを覗いていたかに愕然。ノーファインダーで、地べたに置いたのがまずかったか…。
雨の写真は、雨の日にしか撮れない。
とはいえ、山陰・北陸は豪雨。ジャワ島ではまたしても津波。


[ 2006/07/19 02:41 ] 日常 | TB(0) | CM(2)

ウロコ

雨上がり
-西三国-

久しぶりに100%オフ。10時間睡眠。
夕方から、気になっていた写真関係のサイトなどを見て回った。
一番興味深かったのは、横木安良夫さんのブログ
リコーGRDを地面に直接置いての、「地平線までの距離」。
GRDというカメラの特徴を端的に追いつめながら、しかも、明快なコンセプトでアーティスティックに作品にしてしまう力量に感服、感動。
この春辺りから、Caplio GXの手ブレ克服に、地べたに置いたり、電柱に添わせたりして、そのちょっと変った視覚が気になっていたのだが、それを、こういう風に見せられると、目からウロコが何枚も落ちた気分。
梅雨前線が南に下り、連日の熱帯夜からも開放されて、実に気分のいい一日。


[ 2006/07/18 03:09 ] 日常 | TB(0) | CM(3)

想い

群れ
-西梅田-

久しぶりに画像合成の仕事。
曇天でのロケのカットに青空を入れる。
オリジナルの中にある情報、季節の設定、時刻、方位等々を考え合わせると、入れ替えるべき空の色に自ずと方向性が見えてくる。青ければいいというものでもない。
あるべき青、あるべき雲、あるべき光と共に、メインの画像の雰囲気やニュアンスを壊すことがないよう、それでも、晴天の色として「不自然」があれば、「晴れ」の調子に近づける。
撮影とは逆の方向から光を見極め、構築することは、撮影のための優れてよい訓練であると同時に、普段の自分がどれほど「光」を意識して撮影しているかが問われる。
持ち込まれた余所のカメラマンの撮ったJPEG画像に写った、受光素子の汚れやゴミを見て、彼、或いは、彼女の上手い下手以前の、写真への想いを疑う。


[ 2006/07/17 01:20 ] 日常 | TB(0) | CM(4)

梅田

眼


大阪ニコンサロンで開催中の「元田敬三『路上のこと』」を見た。
カラー、モノクロ混在で、半分が人物、半分が都市風景。
ストロボ1発で撮られた人物スナップは、かつての倉田精二や北島敬三の写真を思い出した。が、あれほど攻撃的な感じがしないのは、時代の趨勢か。
サイズの不揃いに、作者の「写真の自由」を見た。
先月号の「アサヒカメラ」に、有元伸也と元田敬三とのインタビューが掲載されていたが、共に71年生れ、自前のギャラリーを開設し、異なるアプローチで路上を記録し続ける二人を見ていると、森山・中平を重ねてしまう。
ビジュアルアーツがまだ大阪写真専門学校であった頃、ほぼ1年間通った。中途半端でとてもOBとは言えないし、それほど愛着があるわけではないが、あの頃から黙々と写真を撮り続けている百々俊二をはじめ、元田・有本の活躍は、何故かうれしい。

[ 2006/07/15 19:12 ] | TB(0) | CM(0)



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