30年前マリエンバードで
2008-02-22

−姫路城−
アラン・ロブ=グリエが亡くなった。
初めて知ったのは、中平卓馬『なぜ、植物図鑑か』の中である。
以後、なにかにつけて引用してきたし、行き詰まった時、写真が分からなくなった時、『なぜ、植物図鑑か』とロブ=グリエの『新しい小説のために』を幾度となく読み返し、今も本棚でセットで並んでいる。
ビュトールやブランショ、ル・クレジオやソレルスを知ったのも、この絡みからだ。
ロラン・バルトやスーザン・ソンタグの写真論よりも、ロブ=グリエの小説やこの論考に示唆され、刺激を受けてきた。50年前思考された「未来」に、未だ誰も追い付かない。
「ところが、世界は意味もなければ不条理でもない。ただたんに、そこに《ある》だけである。なにはともあれ、これこそ世界がもっているもっともいちじるしい特徴である。そして不意に、この明白な事実が、もはやわれわれの手ではどうすることもできない力で、われわれを打つ。一挙にして、すばらしい構築物の全体が崩壊する。うっかり目を開いたがために、われわれは、いままでわれわれが克服したふりを装っていたあの執拗な現実の衝撃を、またしても身に感じるのである。われわれをとりまき、われわれの精神主原論的ないし家政的形容詞の群れをものともせずに、事物が《厳として存在している》のである。それらの表面は鮮明で、つるつるしていて、無傷で、いかがわしい光沢もなければ透きとおってもいない。われわれの文学のすべてをもってしても、まだそのもっとも小さな片隅にキズをつけることにも、そのもっとも小さな曲面の角度をにぶくすることにも成功してはいない。」
「ものや動作はまず第一に、その現前性によってこそ訴えかけるべきであり、さらにその後も、感傷的、社会学的、フロイド的、形而上学的その他、なんらかの参照体系のうちにそれらを閉じこめようと試みる、いっさいの説明的理論をのり越えて、この現前性が支配しつづけるべきなのである。」
−−−アラン・ロブ=グリエ『新しい小説のために』平岡篤頼訳/新潮社1967.6.30
コメント
ものの芽
ジェッターや ソランだったら うたえます まっは坊
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注:うとてみい=歌ってみせてよ!